15時台
3-1.脳死判定/臓器を運ぶ/遺書
もこ :さぁ、時刻は午後3時を41秒回ったところです。水曜日のヒルサイド・アヴェニュー、ご案内の小川もこです。ここから聞き始めた、FM三重をお聞きのみなさん、こんにちは。

今日はちょっと真面目なモード。真面目なFAXテーマで募っています。臓器移植を考える「命の架け橋」というFAXテーマで、日本臓器移植ネットワークの常勤理事森達郎さんにもお越しいただきまして、みなさんから素朴な臓器移植に関する疑問、ドナーカードに関する疑問、答えていただいております。引き続きよろしくお願いいたしまーす。

森  :よろしくお願いしまーす。

もこ :えぇっと、、、、脳死判定。この脳死判定の脳波計について質問がありますという、しまじんさんですね。

【いつも脳波計の判定でもめたりしておりますが、あれはマスコミの中継車の電波のノイズということはありませんか?調査したことありますか?携帯電話の電波でペースメーカーが狂ったりしますよね。それよりも強い電波が病院の周りを飛んでるわけですから、関係してるんじゃないかと。それからもう一つ。これはお願いですが、臓器を運び出すときによくスーパーで目にする台車で運んでるときがあります。あれ、やめて欲しい。重くても、やっぱり大切な命。人の手でしっかりと運んで欲しいと思います。】

・・ってことなんですが。まず中継車の電波ノイズが

森  :離れてるところで中継してますんでね、そのことで影響しているわけではないんですよね。脳波計での問題っていうのは、たとえば感度を上げるボタンを間違えちゃったりとか、脳波テストと無呼吸テストの順番を間違えたりということなので、別に波形が乱れるとかそういうことではないんですよね。

もこ :なるほどね・・・それから、運び出すとき・・・

森  :そうですね、それも貴重なご意見ですね。

もこ :そうですねぇ・・・・・それから、黒磯のゆうさん。

【私はドナーカード持ってます、結婚する前から。死んだら何も持っていけませんから。出産の時、血小板が他の人の半分しかないということで、大きな病院で出産しなければならないかもと言われました。自分の体がどうにかなってしまうかと思った時、持っていたカードが旧姓だったことに気付き、新しいカードに書き直しました。カードに書いてある名前が旧姓だったり、家族の名前が実家の姓の場合、無効になるのでしょうか?】

森  :いや、それは無いですね。本人と確認がとれれば。

もこ :それから、今朝の新聞にアメリカでめでたく臓器移植を終えて、無事手術を終えて帰って来たお子さんの写真。あるいは、これからまた出かけるっていう、そういうのがありましたが。今の段階では、日本では臓器移植、子どもには認められていない、近い将来できるようになるんでしょうか?っていう、ゆうさんの質問ですが。

森  :平成9年の法律が施行されてから、法律の付帯事項として「3年後の見直し」ってのがあるんですよね。「3年後の見直し」ってのは、丁度今年になります。今、一番議論になっているのが、子どもの移植に道を開くということなんですよね。意思表示カードの法律的な有効性があるものが「15歳以上」なんですね。15歳未満のお子さまには開けていない。

もこ :どうしてですか?

森  :意思表示カードが、ある意味での「遺書」と取り扱いが同じになっちゃうんですよね。

もこ :「遺書」?

森  :そうすると「遺言年齢」ってことになると、「15歳以上」じゃない認められない。

もこ :遺言年齢が15歳以上であるから・・・・あぁ、でもなんかそれ、卵が先か鶏が先か・・・・なんか変な感じがしますねぇ。

森  :ただ、今、厚生省の方でも、幼児の脳死判定についての基準を作成していますし、その方向で動いていることは動いているんですよね。一番困るのが、やはり心臓移植。肝臓移植に関しては、この間も20代の男性から2歳のお子さんに移植されましたから。心臓移植に関しては道が開けてない。心肺移植ですね。そのことが非常に問題であって、相変わらず渡航、渡米しているっていうことが現実です。

もこ :そうですねぇ、それによって莫大な費用がかかるために、みんなからの寄付を募ってと言う形になっているのが現状なんですねぇ。
さて、まだまだ、今のここがおかしいんじゃないかとか、もぅほんとに率直に臓器移植に対して自分はこう思うというご意見、自分の周りの人ではこういう体験をしました、それに対して自分はこう思いました・・・・・どんなことでも結構です。まだまだ待っております。

東京03-3288-8955、東京03-3288-8955まで。
インターネット参加の方は、http://djmoko.com/ ここから、本日のFAXテーマはこれというところをクリックして、お書き下さい。待っております。

さらに「ハッピー シネマがいっぱい」 いつもの映画のコーナー。今日は、朝子さんという実在の人物がいらっしゃって、その方のお父さんが本を書かれました。その本を元にして、臓器移植に関する映画が作られることになりました。そちらのプロデューサー、市川さんをお招きしております。その映画について詳しく伺おうと思います。

♪ シール/ヒューマンビーングス ♪

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3-2.皮膚移植/個人の自由/生体腎移植
もこ :さてさて、ほんっとにいろんなご意見が届いていて、その一つ一つにびっくりしたり、感心させられたり、ちょっと考えてしまったり、いろいろあるんですが。
こちら、福島県相馬市のまるちょさんですね。

【臓器提供意思表示カードについてなんですが、ずっと聞いてみたいことありました。教えていただきたいんですが。提供したい臓器の中に、「皮膚」を付け加えることも良いのかどうか、ずっと聞いてみたかったんです。目に見える部分なんで、使えるものなら使って欲しいって思ってました。】

「皮膚」

森  :「皮膚」・・・提供出来ます。

もこ :はい。

森  :ですから、意思表示カードに「その他」の項目がありますんで、そこに「皮膚」と。

もこ :「その他」のところに括弧して空間がありますので、ここに「皮膚」と書いておいていただければ。これはやっぱり、重度の火傷をおわれた方などには・・・・

森  :そうですねぇ・・・・救急の医療に非常に役に立つもので、最近皮膚を提供される方、非常に多いんです。

もこ :香川県のラジオ・ネーム青空さんは19歳、学生さん。

【今日のテーマについて、一言言わせて貰いたいです。私は臓器提供カード、持ってはいますが、提供しないに○をつけています。親と話し合った結果決めて、私も今はこれで良いと思っています。さっきFAXで「医者が提供しないのはおかしい」と書いていた人が居たけれど、個人の自由なんだから、別に医者だからという理由で提供する必要はないはずです。周りのみんなも持っていますが、提供することが格好いいという風潮があるような気がします。】

うん。これは、どうしても人道的に・・・あるいは、やっぱり、私の気持ちなんかからすると、私はもぅ「どのようにでも使って」っていう思いが、どうしてもあるから、それを○つけてしまいますけれど。ほんっとに、家族とちゃんと話し合ってという段階を経て、また、考えが変わってくることかもしれませんしねぇ。

森  :そうですね。やはり、ご家族の方とお話をされてからでも良いですし。今ね、すぐ書いて下さい、書きましょうと言う話じゃなくて、全然ブランクのまま持っていらっしゃるんですよね。ですから、やっぱり時間をかけて、よく話し合って、それから決めれば、全遅くないと思います。

もこ :こちら、お名前のところが切れちゃって読めない方なんですが・・・

【私自身、腎臓移植をしています。生体移植ではありますが。移植って、本当にすばらしいものです。薔薇色の人生と言う言葉がありますが、まさにその通りです。移植直後感じたことです。13年8ヶ月過ぎた今は、忘れてしまったりする感情ですが・・・ 辛いことがあっても、あの時の移植前後のことを思い出すと、乗り越えられるものです。自分でも、あげられるものなら何でもあげたいという気持ちですが、自分だけが登録するだけで良いわけではなく、同意のサインが必要だと言うことも最近知りました。他の人のために何かしたいという気持ち、ゆとりも10年過ぎた頃からで、それまで、まぁ今でもそうですが、自分の体の心配が先でした。移植をしても薬の副作用とかいろいろあります。周りの人たちには分からないことではありますが、移植=健康・健常者ではないことも少しは分かって貰えたらと思ってFAXしました。】

ほっんと、そうなんですよねぇ。

森  :そうですね。だからまぁ、透析を受けていた時期に比べれば、移植を受けて健康を取り戻すってことあるんですけども。免疫抑制剤っていうものは一生飲まなきゃいけないんですよね。っていうのは、拒絶反応起こさないために。だから、そういう面からすると完璧に治るわけではないんだけど、生活は改善されるってことですねぇ。
それほど、腎臓病っていう病気が非常に苦しい病気であるってことは間違いない。

もこ :こちらもね、これは大分(99/12/23)でも読ませていただいた方なんですが、メールでいただいた方ですねぇ。

【母からの腎臓を移植して、もうすぐ12回目のクリスマスがやってきます。】

こちらも、生体腎移植受けられた方なんですねぇ。

【12年前は、毎日を笑顔で過ごせるとは思っていませんでした。今の私があるのは、移植という医療があったからです。握り拳くらいのちっちゃな臓器の腎臓。腎不全になると尿が出なくなり、毒素が体にたまり、腎臓だけでなくホルモンのバランスが崩れたり、骨に異常を来したり。毒素やたまった水分を取り除くために「人工透析」という治療を受けました。週に3回。一回の治療に4時間かかります。仕事にも就けない。友達と旅行にも行けない。厳しい水分制限。食事管理。気がついたときには、自分を固い殻に押し込んで、笑うこともできず、体だけではなく心も病んでいたのかもしれません。そんなときに母が「自分の腎臓を」って言ってくれたんです。母の体を傷つけてまで元気にならなくて良い。生体移植に踏み切るには心の葛藤はありましたが、今は心から手術を受けて良かったと思っています。母にも感謝しています。脳死移植が施行されるようになった今、脳死の判定や倫理の問題や難しいことはたくさんあると思います。移植なんて・・・・と思っている方も沢山いらっしゃると思います。でも、移植という医療のおかげで生きている者が居ることを知っていただけたらと思います。素敵な仲間に出会えたこと、毎日を元気に笑って過ごせること、生きているからこそ感じることが出来た幸せです。】

こんなメールをいただいてます・・・・・・・・どう思われますか?

森  :・・・・・そうですねぇ。やはり、水分制限とか食事制限とか。特にお塩とか制限するんですよ。移植されたら、そういう食の一番大事なところが治りますから、多少管理した・・・・病後の管理ってのがあるけれども、お水沢山飲めるってことの幸せ、非常に感じるんじゃないですか。

もこ :人工透析というのは、かなり費用がかかる治療なんですか?

森  :かかりますねぇ。年間でやっぱり、、、まぁこれ、全部保険適用されてますけど、600万円くらいかかるんじゃないですかね、一人が。

もこ :はぁ・・・・・・そうすると、移植という手術にかなりの費用がかかっても、何年何十年というスパンで考えると・・・・・

森  :はい。 腎臓移植に関しては保険適用になってますから、移植があった方が安くあがるってことはあるんですよねぇ。

もこ :まぁ、今、実際に手術を受けた方、お二方からのを紹介させて貰ったんですが、なんていうのかな、自分が当事者になってみないとやっぱり分からないっていう問題ではあるのかもしれませんねぇ。

森  :私はずっと健康だったときに、いとこが病気で、腎不全で、同じ食事を出されてずっと育ってきたんですね。その食事っていうのは、とても、やっぱり美味しくないんですよ。塩気も無いし、水分の制限された、でもまぁ、いとこだから一緒にご飯食べてて。健常者には耐えられない生活ですよね。それをやっぱり、病気の方は今もってやっているわけですから。だから、移植を受けて、成功した後の開放感っていうか、もぅ好きなだけ水が飲めるっていうのはとてもよく分かります。

もこ :日本臓器移植ネットワークに勤めていらっしゃいますけど、これはそんなに古い組織ですよね。出来て何年ですか?

森  :平成9年の法律施行と同時に改組されたんですけれども。最初は平成7年に設立された腎臓移植ネットワーク。

もこ :最初はやはり、腎移植から始まったわけですか。

森  :法律の施行と同時に臓器移植ネットワークに。その前があって、東京での腎バンクの役割をしてました。腎移植普及会という会を、一番最初は昭和48年ですけどね、設立。

もこ :森さんはこの移植ネットワークに関わられる前は、どんなお仕事されてたんですか?

森  :それはもぅ・・・・いろんな仕事してましたけどね。(笑) 港の仕事をしたり、倉庫の仕事をしたり、あるいはブティックの経営とか、お店の経営とか、そういうことしてました。

もこ :どうしてこのお仕事に携わろうと思ったんですか?

森  :あのぉ、ボランティアで、腎臓移植普及会の理事をやってまして、それで改組をするということがあって。人員的にも足りなかったし、手伝いに入ったというのが最初のきっかけですね。私の場合もレシピエントのファミリーっていうか、移植を受ける方のファミリーの立場に立ってましたから、なんとか移植をすすめたいなということはありましたねぇ。

もこ :なるほどねぇ・・・・・・なんかやっぱり、何にも代え難い自分の大事な人を救いたいっていう思いから、すべては始まっているのかなという気もしますけどねぇ・・・・・

さてさて、この後は実際に、これはほんとに実際にあったことなんですが。アメリカで交通事故に遭われて、ドナーになった日本人女性が居ます。その彼女のことを書いた本から、映画が出来ることになりました。その映画についてのお話を詳しく伺おうと思います。

さぁ、まだまだ、あなたのご意見、ねっ、まだもうちょっと番組は続きますので。どんなことでも結構ですよ。ここまで聞いてみて感じたこと、何でも書いて送って下さい。
東京03-3288-8955、東京03-3288-8955で待っています。

♪ エル・パライソ・リコ ♪

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3-3.映画「ASAKO」
もこ :さぁ、小川もこがお送りする映画の時間「ハッピー シネマでいっぱい」のコーナーがやって参りました。今日は、ちょっとスペシャル版と言うことで、このほど映画化が予定されております、日米合作映画となります。2000年の夏公開予定という、仮タイトルが「ASAKO」 この映画のプロデューサーでいらっしゃいます、市川晃一さんをお招きいたしました。
ようこそ。

市川晃一(以下・市川):どうも、こんにちは。いろいろお世話かけております。

もこ :いや、とんでもないです。

市川 :ご協力いただいてありがとうございます。

もこ :よろしくお願いいたしまーす。

市川 :よろしくどうぞー



もこ :さてさて、映画のコーナーやって参りました。
改めまして、本日のこのコーナーのゲストです。映画プロデューサーの市川晃一さん。よろしくお願いいたします。

市川 :どうもよろしくお願いいたしまーす。

もこ :えー、まず、私たちは実はあのぉ、全国16カ所「Gift of Life いのちの贈り物」
「朝子 命のかけ橋となって」を通じて命の大切さを考えるシンポジウムという、そんなイベントを企画して。これは全国16カ所。

市川 :そうですね。

もこ :その最後が、今週の金曜日、いよいよ高知にお邪魔してファイナルということになるんですが。

市川 :そう。もこさんにお手伝いいただくわけですね。

もこ :(笑)いやいやいや・・・16カ所中の、私は4カ所。4分の1だけ手伝わせていただいたんですが。そもそも、どういったイベントだったのか、改めてお話しいただけますか?

市川 :もともとは映画をね・・・・僕は映画が本業ですから、映画を作ることから始まったんだけど。やっぱり、こういうことっていうのは地味なことですからね。映像だけでなくてね、なんかこぅ、直接対応してお客様と話が出来ないもんかなぁと。殺伐とした世の中でしょ。なんか「優しさ」って言ったって、簡単にとらえられてて、自分のことみたいな感じじゃないですか。それをもっとね、真剣に考えて貰った形を取った上で、その話題を広めといて、そいで映画を観て貰うと、見方が変わるんではないだろうか。っていうのが、このイベントをやる一つの僕の考えだったんですけどね。

もこ :もともとの、じゃぁこれで映画を作ろうと思われたきっかけとなった本なんですが。
間澤洋一さんという方が書かれた「朝子 命のかけ橋となって」 この本はどんな内容で?

市川 :これは先ほどもちょっとね、お話したみたいですけども、その朝子さんがね、留学中に事故に遭ってということで。その前に、僕は映画でなにかそういう命の大切さみたいなものが、映画でもっと扱えないもんだろうかと。それと、臓器移植っていうのが、もともとなかなか受け入れられない状況の中で、いろいろ諸問題がありますよね。そういうことをもう少しですね、みんなが考える、行政だけに任せるんじゃなくて。みんな一人一人が考えなくちゃいけないことでしょ。一人一人の命のことなんですから。それでね、なんか無いだろうかと思ったときにですね、たまさか7月にこの本が発刊されてて、それでまぁこれを読ましていただいて。正直言いまして、本の中身に関してはね、お父さんの思いがありますから、いわゆる映画にするような原作の内容とはちょっと違う。非常に難しいんでね。これを(脚)本にするのは非常にしんどいと思ったんですよ。

もこ :映画にするのはね。

市川 :映画にするのはね。
ところが、読み終わって最後のページの帯のところに妹さんの会話があって、レシピエントに初めてあったときにね、妹さんが「胸に触って良いですか?」って聞いたら、「どうぞ」って言って「朝子を感じる?」って言ってるわけですね、ドリーさんっていう人がね。そこの行でね、僕は「あっ、これは映画が出来る」って、実は思って映画にしようと思ったんですけどね。

もこ :んー・・・・・今までそういえば、命の大切さ。勿論それぞれ、いろんな映画があって、生きるってことをテーマにして、それぞれが命ってことをとらえてる映画あると思うんですが。

市川 :難病の映画、結構多いですからね。

もこ :んー・・・・・たとえば市川さんが映画に入られる、足を踏み入れるきっかけとなった何か感動をされた作品とか、影響を受けた・・・

市川 :いや、実はね、僕はあのぉ、マネージャー、昔ね、もう20何年も前ですけど、マネージメント業をちょっとやらされてましてね。そいで、ひょんなことで、もう亡くなったんですけど、黒澤明に偶然ね、出会えたんですよ。その前に僕も、役者のマネージメントをしてましたからね。やっぱり(脚)本読めないと、役者に仕事をとるのが・・・みたいなことでいたからね、だからあのぉ、脚本の勉強したことがあるんですよ。脚本の勉強をやってる時に、実は「影武者」という映画がね、前にあったんですが、

もこ :「影武者」・・・・・・

市川 :その映画がまだ製作の段階にならないときに、黒澤さんが(脚)本をお書きになっているときにね、黒澤さんに会えて。実はその後、制作が出来上がるまで3年間、ずーっと黒澤さんの側についていられることが出来たんですよ。それでもぅ、映画のダイナミックさ、黒澤さんのすごさにすっかり感銘を受けた、感動しちゃったっていうかなぁ。それで、よし、俺はやっぱり自分で映画を作ってみたいという思いに駆り立てられて。

もこ :んー・・なるほどぉ。今までプロデュースされたの、どんな映画があるんですか?

市川 :そうですね、僕のデビュー作っていうのが、もう昔ですけどね。小泉今日子のデビュー作で、「生徒諸君!」ってのがあるんです。

もこ :ほーっ!

市川 :あれが僕の、自分の初めてのプロデュース作品ですね。あと「バージン・ロード」とかねあるんですけれども。最近では、まず前回作ですけどね、松本幸四郎さんで「良寛」という映画。鈴木京香とかね、松方さんにお手伝いいただいて作ったんですけど。それもやはり、老人が、きっかけはね、老人問題。老人ホームの中で、男女の問題とかいろんなことでねぇ、殺戮みたいな話があったんですよね。そのときに、僕は・・・人間はみな死ぬんですよ。死ぬときにね、どう死ねるかってことが、テーマなんですよね、人間として生きていくための。それを良寛っていう人は、見事に死んでるんですよね。それで僕はね、混迷している老人たち、大人たち、もちろんみんなは老人になっていくんですよね。そのときにね、どう生きるかといういきづき、自分の死に様、その辺が描けないか。良寛という人は見事に生き抜いているんでね、見事な死に方をしているんで、それを映画にしてみせたいなというのが「良寛」を作るきっかけだったんですよね。

もこ :なるほどねぇ・・・・・・さぁ、今度の映画ではどのようなことを描かれるのか、またその辺のことも伺って参りたいと思いますが。


♪ ヤズー/オンリー・ユー ♪


もこ :さて、今日は映画プロデューサーの市川晃一さん、来ていただいておりますが。
この臓器移植を今回取り上げることになりました・・・「ASAKO」という仮タイトルが付いていますが、どんな映画なんでしょうか?

市川 :やはりあのぉ、本にも書いてあるように、僕の一番の思いは、人に対する思いやりとか優しさ、それをテーマにしたいんですよね。それと当然、臓器を移植するに関してはご本人の朝子さんにもう意識はないわけですからね、それを決断する家族、これは大変だったと思うんですよね。そういうものが、僕はね、映画の中で描ければどうかなって。ほんとの、そういうところにいかないと、なかなか人間の思いだとか思いやりだとか、形で綺麗事言っている愛なんてなかなか出てこないんですよ。そういう極致にあったときに、人ってのはでてきますのでね。そういうのが、やはり、描けたらどうかなと。それがその、今後の人に対しての思いってのが見た方に感じられるような映画になればなっていうふうに、僕としては思ってるんですよね。それで実はまぁ、監督をアメリカ人にしたっていうところもあるんですよ。

もこ :あっ、どなたが監督ですか?

市川 :ジャン=ユンカーマンって言いましてね。

もこ ジャン=ユンカーマンさん。

市川 :彼は高校時代から日本に来てて、日本語もなかなか達者でしてね。奥さんは日本人でいらっしゃいますんでね。
臓器移植という問題は、アメリカはなかなか先進国ですんでね。思いみたいな、それから宗教観みたいなのありますよね。失礼なんだけど、なかなかそこへ踏み込んで映像を考えて映画の演出をなさるってのは難しいと思うんですよね。そういう意味の中で、たまさか僕の友人がね、ジャンのことをしってて。ジャンにあって話をしたら、彼はさすがにそういう部分があって。彼もドキュメンタリー作家ですからね。「老人と海」とか、日本を題材にしたドキュメンタリー作品、何本か作っていらっしゃる。

もこ :沖縄を舞台にしたものを作っていらっしゃいますよねぇ。

市川 :そうですそうです、えぇえぇ。大きなマグロを追いかけているおじいさんのことをずっとおっかけて。監督なんでね、「生きる」ってことに関しての洞察力ってのは、すばらしい演出家だという風にみてね。そういう人が、初めてなんだけれど、ドラマ的なことに、(脚)本っていうものが出来上がってですよ、それにぶつかったときに、どういう演出をするかっていう一つの興味もある。それと、ドナーという難問なことに関してのアメリカ人独特の考え方みたいなものが、うまくいり混ざって、いい形にならないかなと。それをひたすら期待をして、ジャンに委ねているところがあるんですけどね。

もこ :なるほど。ねぇ。さて、今回「Gift of Life」というチャリティ・ライヴ・ツアー、イベントでずっとまわっていますが。この16カ所、それぞれで実はこの映画のオーディションを行ってきたんですね。それはどういった内容でしょうか?

市川 :あのぉ、まぁ、主役は無理でしょうけれど。映画ってのは「夢」ですんでね。何か携わりたいという部分があるんですよ。そういうその若いときの「夢」みたいなものをもしたった一つでも良いし、どんな形でも良いから、叶えられればいいかなということで、もし参加できる人がそういう気持ちがあれば、何らかの形で参加して貰いたいなと思って、実は16カ所でオーデションをしているんです。

もこ :このイベント自体が・・・・・・今日も、随分ね、難しいテーマ・重いテーマですねって言いながら、みなさん、すごく、真摯に参加して下さっているんですが。開場に来て下さった方も、我々、私と森さんとそして市川さんの3人のトーク・セッション、みんなでいろんなことをわいわいと語り合う、そんなシーンがあったり。あとはアーティストのライヴがあったり。あるいは、この趣旨に賛同して下さったスポーツ選手などから、頂戴、提供してきたもののチャリティ・オークションを行ったり。すごく楽しい部分も、とてもとても沢山あるんですが。そういったものを全部体験していただいた一番最後に、最初っからは申し上げないんですよね、最後に、もし、ずっと体験して貰って、今日参加して貰って、この趣旨に賛同していただいた方で、こんな映画があるんだったら出てみても良いなって方、良かったら残ってみて下さいってことを申し上げると、すごく沢山の方が残ってくれて・・・・

市川 :そうですね、ありがたいですね。だから、まぁ出来ることだったらね、全国16カ所の人たちが出て下されば良いんですがね。なかなかそういう風にはいかないでしょうけれども。まぁ、出来る限り・・・変な言い方ですけど、いわゆる通行人でもいいしね、んー、そういう形でも良いから。

もこ :ひょっとしたら、とてもとても素晴らしい才能が・・・・・

市川 :そうなんですよ。オーディションの面白さってのはね、そういうのがあるんですよ。僕は昔ですからね、「生徒諸君!」やった時も全国オーディションして、その中から選んだりとか。2回目の「バージン・ロード」全く素人の子をね、主役にしてつかったりとかしてますのでね。やはり、あの、勉強して、勿論基礎ってのは必要なんだけれど、やっぱり「感性」ですからね。感性のある子っていうのはいるんですよ。

もこ :いいですねぇ。今回この「Gift of Life」のイベントから明日のスーパー・スターが(笑)生まれたら嬉しいな。

市川 :んふふ、そういう形が取れればね、一番良いんですけれども。当初は、妹さん役のような形みたいなね、イメージに朝子さん役みたいな人がいればという風に思ってはいたんですがね。なかなか、やっぱり諸事情、英語の問題とかいろんな問題がありますんでね。

もこ :あぁ、やっぱり・・・・・・・英語が出来ないとっていう部分があるんですねぇ。

市川 :えぇ、そうなんですよ。それで、主役にはねぇ、西田ひかるさんが今アメリカの方に行っていらっしゃるんですけれども。まぁ、アポとってねぇ。

もこ :西田ひかるさん。

市川 :(脚)本読んで貰って・・・彼女はなかなか英語が堪能ですのでねぇ。

もこ :えぇえぇ。

市川 :あのくらいの力量がないと、やはり、芝居的に難しいので。

もこ :あっそっかぁ・・・他の配役でどうですか、だいたい具体的にはもう決まってきては・・・

市川 :まだねぇ、具体的にはないんですけれど。僕が今一番望んでいるのは、アメリカでロバート・レッドフォードさんが参加したいっていうことで・・・・

もこ :えっ! ロバート・レッドフォードも出るんですか?

市川 :まぁ2シーン・・・・2カットくらいなんですが。向こうの方の医師の役で出ていただけるような話が今、進んでいるんですよね。

もこ :ロバート・レッドフォード自身もこの臓器移植に関して・・・・・

市川 :ご子息がね、腎臓をいただいたというようなことで、大変そういうことに・・・・・元々あの方、なかなかボランティア精神のある方でね。非常にいろんなことなさってる方なんで。

もこ :えぇえぇえぇ

市川 :実現できればいいなぁと。日米という意味の、「架け橋」という意味でもね。お力が借りられればと思ってますけどね。あとはどうでしょうかねぇ・・・・・

もこ :お母さん役は?

市川 :お母さん役がなかなかね・・・・・今、僕としては吉永さんになんとか

もこ :吉永小百合さんですか!

市川 :えぇえぇ今、ちょっと吉永さんの方にアポとって、(脚)本を読んで貰おうと思ってるんですけれどもね。まぁ、なかなかね、難しいですけどね。

もこ :いや、どんな方に決まるのか・・・・どちらにしても夏の公開予定ってことはそろそろ、大まかなところは決めて。クランク・インはいつですか?

市川 :クランク・インは一応2月の後半、まぁ3月の頭くらい。ただしちょっとですね、今遅れてるのは、アメリカの方の卒業式のシーンをね、彼女の、朝子さんのほんとの卒業証書をいただいた学校でしたいと。それに関して学校サイドも、出来る限りしたいということで。5月に卒業式があるというので、そこのシーンはそのままでやりたいという風に思ってますのでね。

もこ :さぁどうでしょう。あなたもひょっとしたら、西田ひかるちゃん、あるいはロバート・レッドフォードと共演できるかもしれない・・・(笑)・・・・最後のチャンスと言いますかね、1月の21日の金曜日。高知の高知県民文化ホールで最後のイベント行いますので、よろしかったらね、平日なんですが、夕方6時半からですから。仕事が終わった後でも、遊びにふらっと来ていただければと思います。
じゃぁ、最後にプロデューサーの立場でも、どんなことでも結構です。全国の皆様に何か一言お願いいたします。

市川 :そうですね、僕はこの「Gift of Life」っていうのを16カ所やる計画を立てたんですけれども、このイベントそのものを今回限りにしたくないっていう思いがあるんですね。やはり、優しさってことを根本的から考え直したいっていう思いがありましてね。是非ですね、この後も続けてやっていきたいというふうに思ってますので、ご協力いただければありがたいと思っています。

もこ :はい、わかりました。どんな形になるのか・・・ちょっとお話ししてた中では老人介護の問題とかね、介護保険などのことも考えたいという・・・・

市川 :次回は是非やりたいですね。

もこ :・・・・・そんな市川さんでした。

♪ 矢野顕子/ラブ・ライフ ♪

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3-4.命の大切さ
もこ :さて今日はね、「臓器移植」と言うことにテーマをおきまして、非常に重たいと言うよりも、真面目なモードでお話をしてきたんですが。
あらためて、日本臓器移植ネットワークの常勤理事、森達郎さん。ずっとおつきあいいただきまして、ありがとうございます。
こちら、鹿児島のあじさいさんっていう方からのFAXですね。

【10ヶ月前、日本で臓器移植が行われたとき、主人と話し合いました。二人して、すんごい矛盾してるけど、提供する側、そう、家族が脳死となり提供することとなった場合、もしかして「まだ大丈夫かも」という思いがあるだろう。だから提供したくない。でも、家族が臓器移植しかない病気だとすると提供して欲しい、と思うのです。今でも矛盾した気持ちを持ったままです。そんな気持ちを持った私っておかしいですか?娘が、命の大切さをちゃんと教えないといけない年齢に来ています。臓器移植をどう教えたらいいかが分かりません。】

まさに今、あらゆる方が感じてることだと思いますね。

森  :矛盾というようなことじゃなくて、正直な意見じゃないですかね。ですから、臓器移植と言うことを教える前に、命の大切さとか、そういうところから入った方が良いと思いますね。臓器移植自体は一つのモチーフに過ぎないんですよね。命の大切さから入って、ある方法、臓器移植って方法を使って助かる方もいるし、あるいは提供しても良いですよって善意の方もいるって事実があるんですよね。それはモチーフに過ぎないのかなって私は思います。

もこ :市川さんにはまだお残りいただいて居るんですが。イベントでずっとまわってきても感じたんですけど、命の大切さを考えたいってところから、そもそも始まったイベントなんですけれど。毎日毎日いろんなニュースを見てると、ほんとに簡単にいとも簡単に殺人が行われ、いとも簡単に自分の命を絶つ人がいたり。そういった、とても軽んじられた「命」がある一方で、どうしても生きたい、生かしたいっていうそういう「命」がある。
絶対「命」に重さ軽さはあるわけないのに、でも人の気持ちがそのときそのときによって、重い軽いっていう風になってしまうってのは、なんなんでしょうかねぇ?

市川 :難しいことですけれどもね。だけどやっぱり、今の世の中の状況に関してはね、家庭環境っていう問題が非常に大きなことだと思うんですよね。だからやはり、子どもを育てるっていうことは、大変なことなんだなぁっていう、一つの原点に戻ることだと思うんですよね。そうすると、ああいうことの事件が起きるような子どもがね、できないと僕は思うんですよ。
そういうことからも、今、人間が原点に戻るような考え方をしなけりゃいけない時期なのかもしれませんね。全てのことにね。

もこ :そうですねぇ。ほんとに、人と人が愛し合って生まれてきた「命」のはずなのに、どうしてもなんか軽んじてしまうような状況にあるっていうことをもう一回そこから考えないといけないのかもしれませんね。
今日はほんとに長い間おつきあいいただきましたが、森さん。どうでしたか?3時間。

森  :みなさん、貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございます。まだまだこれから、いろいろと考えなければいけない問題、解決されていない問題が沢山あるんですけれども。やはりそれは、国として法律を作って、臓器移植法ってまだ・・・まぁ・・・

もこ :はっきり言って、法律自体がまだひよっこの状態ではありますね。

森  :なんですけれども、しかしまぁ、症例数を増やしていって、まずい点をなおしていって、問題点をなおしていって、よりよい臓器移植という医療を確立していかなければいけないので、時間もかかります。それからみなさんの考え方もあります。その考え方にのっかった環境っていうのもあります。この一年間で非常に環境が変わって、意識も高くなったんですけど、それでもまだまだ、世界に比べると数も少ないわけですよね。ですから、一つずつ症例を重ねて、解決していって、時間をかけてやっていきたいと思います。

もこ :ねっ、この番組もたま〜にこうやって、真面目に考えることもあるんですが。こんな時こそ、みなさんが非常に熱い気持ちを語って下さるので嬉しく思っています。
今日の番組を聞いて、私はこう思うぞっていう、そんなご意見ありましたら、お手紙やお葉書でも待ってますので。今日はね、ご参加下さったみなさん、そして森さん、市川さん、どうもありがとうございました。

森  ありがとうございました。

市川 :どうもありがとうございましたー

♪ 小沢健二/愛し愛され生きるのさ ♪

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3-5.エンディング
もこ :さてぇ・・・・放送をずっと聞いてて、いろんなご意見も届いてて、なんだかね、嬉しいような、あのぉ、どきどきするような、そんな何枚か読ませて貰いましょ。
秘密のあっこちゃん。

【私FAX出しました。そして読まれていないということにほっとしました。放送を聞いて、そうか、そういう考えもあるよなぁって思い、静かに耳を傾けています。命に関わることだからもっとディスカッションすべきですよね。納得して、自分の意志が希望するかしないかだと思います。自分の意見を自分自身と思いこんでいたんですが、周りのいろんな人に生かされて、私たちは生きているって思いました。ただ、放送をオフィスに流していました。私以外の人もオフィスで「ながら」だけど聞いていました。そしていつもに比べてみんなが静かでした。ラジオは中立の立場でこれからも放送していって欲しいなと思いました。今晩あたり、家族に話してみようかと思いました。】

ありがとう・・・・・岩手県紫波町のかなのままさん。

【お互い相手の考えも聞き入れる。こうでなきゃならないと決めつけては、これから起きうる出来事にうまく対応できないと思います。メリットからデメリットが発生してしまうように、デメリットからメリットが見つけられることも出来るかも。とりあえず、この臓器提供法が成立してまだ3年。時間をかけて焦らず良い方向にいけるよう、みんなで考えていきましょ。数十年後、社会の教科書に堂々と書かれるように。】

飯山市のジャスミンさん。

【今日のテーマとても真面目な内容で、臓器の移植について、私も昨年何度も主人と話しましたが、結論が出ませんでした。今日は沢山の人の様々な意見を一つでも聞きのがすまいとラジオの横にへばりついてます。メリット、デメリット。メモを取りながら、ふぅんと考えています。このテーマの日にラジオを聞けるなんてラッキーです。ありがとう。】

こちらこそ。
ねっ、ほんとに、とにかく考えることからやっぱり始まると思うんですよ。所詮人ごと自分には関係ないって思ってると、毎日のニュースもただ耳の右から入って、頭の上を通過していくだけのことになりますからね。
臓器移植法という法律自体も、あっそんなのがあるんだというだけでとどまっていたことが、実際に、じゃぁ自分のことに置き換えて考えてみたら、あるいは、ドナーカードというものを持つ必要があるかどうかも分かりません、これに記入をするっていうこともどうかわかりません、でも自分でそれを決断して、あるいは家族と話し合うこと。市川さんがいみじくも、死に様、自分が死ぬということ、死に方っていうことをお話しされていましたけれども。生き方、生きるってことを考えるということは、死ぬ、死に方ってことも考えることなのかもしれません。そういったことを全て含めて、今自分が一番大切な人とそういった話をディスカッションする、話し合うという機会を持っていただければと思います。
ちょっとマジ・モードのヒルアヴェでしたが、来週はまた楽しいモードでお送りしますからね。
それではまた来週お会いいたしましょう。ご案内は小川もこでした。さよなら!


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